たまご堂について
テルミーとはじめて出会ったのは、29年前。未熟児で生まれた虚弱な第三子の養生にと、ファン助産院のお母さん仲間から勧められたことがきっかけでした。
ファン助産院の杉山富士子先生とは、第一子の出産が縁でお世話になり、その子が川崎病の特異例で生後6ヶ月で私の腕の中で突然死した時も、第二子が27週で死産した時も、第三子が32週の早産で誕生した際にもさまざまにご恩いただきました。
第一子と二子の誕生と死の間には、母の6年にわたる闘病があり、第三子はこの母の死と入れ替わりにこの世に生まれました。この子は未熟児由来の脳性まひにより、NICUに入院。産後まもなくの未熟児外来の通院からはじまって、終わりのない歩行訓練の日々、障害児の通園施設への母子通園、小学校への付き添い、不登校、中学では歩行のための手術と長期入院などなど、親子ともども消耗の日々が続きました。
私の30代は母の看病と看取り、子の生き死にに明け暮れ、40代は子の訓練生活とテルミーの修行に費やされてきたといえましょう。
その中で唯一光明のように心の中で輝いていたのが、第一子を妊娠し、出産し、短くはありましたが育てた日々でした。これまでの人生の中であのように幸せだったことはないといえるほどの、ささやかではあっても何にもまして温かく、豊かで、幸いの一語に尽きる日々が私の人生の中にひと時でもあったことの記憶が、私をここまで支えてくれていたようにも感じます。
あの日々に戻りたい……の思いが、ファン助産院のもとへ私を導き、そしてあの日々に報いたい思いが、妊産婦さんや産後の母子ケアのこだわりへと連なっています。
テルミーという療法で妊産婦さんをはじめさまざまな症例に対応していて、なぜテルミーが効果的なのかをもっと知りたくなりました。そして、3・11に際し、民間資格の私たちと国家資格の鍼灸師が一つのケア集団として南三陸町へボランティアに参加したことが、私を大きく突き動かし、さらに広い世界から患者さんの体をみてみたくなりました。60歳を目前に国家資格に挑戦することは無謀さの極みでしたが、扉がさらに一つ開かれました。
昨年からは、テルミーの教育委託者として、テルミー療術師を育てる仕事もはじめ、鍼灸師としても辻内敬子先生のもと妊産婦の鍼灸治療をイチから学び直し、日々実践の毎日です。そして、あらためて妊婦さんにお伝えしたいのは、妊産婦を専門領域とする治療師にお手当てを依頼すべきだということ。その命題にかなった命にかかわる治療家としての自覚と努力を惜しまず今後も前にすすんでいきます。
ともあれ、妊婦さんへの施術は、豊穣と幸いに満ちています。赤ちゃんの笑みは私にも惜しみなく、生きる力を授けます。
「たまご堂」の‘たまご’とは、「始まり」の意味をこめてつけました。人の始まりはたった一つの卵子からなんですものね。そして、ささやかなもの、つつましやかなもの、かわいらしいものに願いをこめる私たちの未来へと繋がっていけたらとの思いもこもっております。今後とも、癒し、癒される場「たまご堂」として、日々研鑽に励みます。
たまご堂・院長
杉山 彰子